幸せは「なる」ものじゃない。「ある」もの

幸せは「なる」ものじゃない。「ある」もの

By | 2021-01-19T12:08:59+00:00 2020-12-19|

「幸せになりたい」

「願いを叶えたい」

「なんで周りは
結婚したり、出産したり
どんどん願いを叶えていくのに
私は停滞しているんだろう」

 

そう思ったことはありませんか。

 

私も数年前までは
ずっとこんな風に思っていたんです。

 

でも、
このループから抜け出すことは
願いを叶えなくても
幸せにならなくても
努力をしたり、覚悟を決めたりしなくても

 

とっても簡単に
解決できることでした。

 

というより
もう簡単に「今すぐ」に
幸せに、願いを叶えられるものだったんです。

 

今日はその中でも
陥りやすい「落とし穴」も踏まえて
お話ししたいと思います。

 

 

1つはは、

「幸せ」の定義

 

をもう一度自分の内側と向き合って
考えてみること。

 

幸せの定義を
自分で難しくしていることが
原因かもしれないから。

 

もう1つは
実はもっと基本的なところで
つまづいていたりします。

 

幸せは「なる」もの
だと思っているということ。

 

幸せはね
なるものでも、
叶えるものでもなくて

 

「あるもの」です。

 

幸せは「幸せで在る」。

 

そういう状態ってこと。

 

「幸せはなるもの」という
定義だから

 

何か外側からつけなきゃいけないし
何かにならなきゃいけないし
小さい大きい、量や数があるし

 

何かと比べることで判断したり

 

それがない自分が
「不幸せ」ということになってしまう。

 

幸せになるために
何かをくわえなきゃいけなくなる。

 

全て「条件付き」にあせる

 

「願いが叶うこと」も同じ。

 

願いが叶うのは
副産物なんですよ。オマケなの。

 

基本が「幸せ」で

基本がもう
願いが叶っている状態なのです。

 

その上で
「さらに、こうであったらいいな」
というものがあるだけ。

 

「さらに」だから
あってもなくてもいい。

 

「さらに」だから
基本の幸せと願いが叶っていることは
変わらない。

 

外側がどうなろうと
誰がどうなろうと
変わらずにいられるんです。

 

もうすでに幸せで
叶っているものがある

 

「豊かである」
「幸せある」

 

この状態を自分が
感じられているから

その内側に合わせて
外側がついてくるようになるのです。

 

好きなお花を見て幸せ〜と感じるのも
お花がなくても幸せだけど
「さらに」あったらいいな、という好みの問題。

 

でもこうやっていうと
似非ポジティブで
幸せな気持ちになろうとか
ネガティブを感じないようにしようとか

 

そういう上っ面だけを
変えることをしようとする人がいますが
そうじゃないですからね。

 

自分さえよければいい
という傲慢さを
押し通すことでもありません。

 

もうすでに「ある」をみる。
それは自分への全肯定でもあります。

 

だからこそ
基本モードが
大前提が「幸せである」ことにする。

 

幸せと何かをくっつけない。

 

こうすると
今すぐ簡単に幸せになれるし

 

自分が現実を創造している前提で
常に願いが叶っている状態を
自覚することができる。

 

幸せになる?
願いが叶う?
そうならないのが停滞?

 

幸せでない人も
願いが叶ってない人も
停滞している人も

 

この現実に存在している時点で
いないですからね。

 

安心して
いますぐ幸せに、

 

いますぐ願いが叶っているのを
受けとって、

 

さらに楽しく創造していきましょう。