周りの目が気になるけど、やめられない

周りの目が気になるけど、やめられない

By | 2020-04-06T21:07:00+00:00 2020-04-11|

過去、私の恋愛での悩みは
彼氏はすぐにできるのに
いつも自信がなくて
周りの目が気になることでした。

 

「周りにどう思われているんだろう」
「周りから見たら(友人から見たら)
私たちはこう映るだろうな」

 

そんなことをいつも考えていて

 

だからこそ前夫までは
顔が一般的に
「格好いい人」が対象だったし

 

ちょっとでもズレたことがあったら
「〜したら周りにこう思われるから
やめてよ!!」

 

と制限したり、
先回りしてやめさせることも
多かったです。

 

・生理的に受け入れられない人が多い
・周りの目が気になる
・現実がうまく行かないことが多い
・どんなことにも不平不満がある

 

これ全部繋がっています。

 

だから表面的に
「自信をつけよう」とか
「周りの目なんか気にしないで大丈夫」とか
「私は私」とか
思っても意味がないです。

 

私がそうでしたから。

 

結局、根本が変わってない限り
ずっと苦しいのは続く。

 

ここでは良くても
ちょっと環境や人が変われば
たちまち出てくる。

 

こういう時もそうだけど
まずは大切なこと。

 

自分がいつも
何を思考しているのか
頭の中を飛び交っている言葉を見る。

 

自分の思考を自分が知ること。

 

 

私はいつも
周りを責めていました。

 

批判したり、否定したり
自分の基準や枠から外れる人を見ると
頭の中で攻撃していたんです。

 

それは人に限らず、環境にも。

 

それが鏡となって
自分に返ってくる。

 

自分がいつも責めているから
周りからも
責められるように感じるのです。

 

こういう時
賢い人はさらに自責に走ります。

 

「責められる前に
非難される前に
自分で自分を責めよう」

 

って理性が働くから。

 

わかっているのに
人に言われると
腹が立ったりしますよね。(図星だからなのですが)

 

だからその前に
自分で自分を非難して
それ以上は傷つかないように
フォローするのです。(フォローになっていませんが)

 

だから

 

なんで責めちゃうんだろうとか

 

なんで見下したりしちゃうんだろう
なんで自信がないんだろう

 

って考えても、
ぐるぐるしちゃいます。

 

悪循環。

 

それよりもシンプルに

自分が責めていたから
責められるように感じるんだ。

自分が見下していたから
そう感じるんだ。

 

と、淡々と見る。知る。

 

自分に価値がないからとか
認めてもらえないからとか
愛されないからとか

 

勝手に意味付けして繋げていたものを
全部取っ払って(空想)
事実だけを見る。

 

そして

 

自分がどうしたいのか
自分の内側に聞く。

 

多分非難したいわけじゃない。
責めたいわけじゃない。

 

その奥に「本当はこうして欲しかった」
っていうシンプルな望みがあったはず。

 

そこを見る。

 

そして
そこにエネルギーを出す。

 

褒められて羨ましい人がいるなら
自分が自分の力でそうなれるように
エネルギーを出す。

 

幸せそうな友人がいるなら
自分がその幸せを自分で手に入れる。
(というより、今すでに幸せなことに気づく)

 

・してもらおう
・何もしなくても与えらって当たり前
・賞賛されて当たり前

 

そういう自分がいて
自分でエネルギーを出していないから

 

周りを羨んだり
自分だけが手に入っていない気がして
非難することで
自分を正当化したり、価値が上がるような気がしているだけです。

 

羨む、非難
見下すことで
自己価値を高めるエネルギーを出すのか

自分の成長やありたい姿に
エネルギーを出すのか。

 

それは今すぐ選べます。
今すぐに切り替えられます。

 

そうしていくだけ。

 

私は責めるのをやめて
自分の在りたい方向に
自分でエネルギーを出せるようになってから

 

周りの声も
周りの目も気にならなくなりました。

 

自分を許せるようになったから
周りも許せるようになりました。

 

これがありのままの自分を
愛するってこと。

 

「自分」は変わらなくていい。

 

変えるのは

そうしている「根源」だけ。

 

自分の人生は
自分で舵を取ろう。
自分で叶えていこう。

 

結局、シンプルな話、

 

周りを見下したり
非難したり
責めたりして
自分を保とうとしてしまう人って

 

ものすごーーーーく
愛されていたんですよ。

 

それだけ当たり前に
何もしなくても
存在するだけで
褒められて
チヤホヤされて
可愛がられてきた。

 

だからそれが
あまりにも当たり前になって
大人になっても
同じようにそのままでいいよねって
なったままだから、こじれた。

 

受けとってきた愛があるから
自信も、自己肯定感も
人一倍あるんです。

 

当たり前すぎて
「ない」にしているだけ。

 

もっともっとを
求めているだけ。

 

自分の幸せも
自分の人生も
自分で舵を取って
自分で決めて作っていけなきゃいけない。

 

何一つとして
人にしてもらうものなんかない。

 

全部自分でするもの。

 

それは逆を言えば

 

自分でやらなきゃ
経験したものも
体感したことも
自分の身にならないから。

 

体感したい
体験したい

それを細胞レベルで染み込ませて
血となり肉となり
糧にしたい。

 

これが最大の
生きる目的だからです。

 

みんな細胞レベルで
毎日変化しているのと同じで
成長することが
生きる喜び、生きる意味だからです。

 

叶えたいことも
身に付けたいことも
全部全部ぜーーーーんぶ
自分でやらなきゃ意味がない。

 

その先は感じられないのです。

 

自分のものには
ならないのです。

 

だから
「ラクして得られたあの人いいな」
「そんな体験できてずるいな」
って的外れ。

 

わかったならば
もう降参して
自分でエネルギーを出そう。

 

自分のために
自分が在りたい自分のために。

 

そして、オススメするのが
親からの愛を受けとること。

 

今までどれだけ受けとってきたか。

今までどれだけ
当たり前にしてもらってきたか。

1つ1つ思い出して
受けとる。

 

一番簡単なのは
親への不平不満を書き出して
それを1つ1つ
愛に書き換えてみること。

 

不平不満の裏には
必ず自分への「成長を促す愛」があるから。

 

書いた分だけ
愛を受けとれますよ。

 

愛を受けとって、
その愛をパワーに
どんどん自分で望みを叶えていこう。