私が保育士の頃
たくさんの保護者の方
たくさん先生方と関わってきました。
当時は当時なりに
精一杯過ごしていたけれど
今考えると本当に未熟で
不足、不満、ネガティヴな面も
たくさんありました。
仕事に対しても
人間関係についても
幸せだなぁ、楽しいなと
思う反面
でも
もっとこうだったらいいのに。
もっとこうしてくれたら、幸せなのに。
と、必ずセットでついてきていた。
だから、こんなに〜だって。
外側次第で
相手次第で
私の幸せも満足度も
変わっていました。
(もちろん家に帰れば
パートナーに対しても同じように感じていました)
ここは感謝してるよ。
ここはいいと思ってるよ。
ここは幸せだと思っているよ。
でも、ここ(そうじゃない部分)
があるから、まだ完璧じゃないよ。
幸せな気持ちを感じるのと同時に
必ず後から続く言葉があったのです。
「完璧なんてないんだから
仕方ないよ」
当時よく、不満に感じる自分を
励ます言葉にして使っていました。
完璧を目指しているのに
そんな自分を
見て見ぬふりする言葉でもあって。
「いい部分」だけを
見ようとしたこともありました。
だから、
自分の中に不満や
タブーにしていることがあると
周りも許せない。
自分の内側が
そのまま自分の世界を創る(映す)
友だちといても
同僚といても
誰といても
いつも不満や愚痴を話すような
環境だったんですよね。
以前、娘のスクールのママ達と
食事に行ったときのこと。
イベントなどで、合うことはあっても
なかなかじっくり
長い時間話す機会は初めてで
友人以外のママ達との会話が
すごく新鮮で楽しかったんです。
子どもの話や家庭の話
スクールの話
旦那の話がずっと飛び交っていて
ふと感じました。
保育士の時に
タブーにしていたことも
保育士としては異議あるようなことも
そんなこともあるよね
そうまるっと
受けとめている自分になっていることを。
そして、そういう意味で
周りに対して
何の不満もないことを。
ただただ単純に
そのままを感じて
楽しく、分かち合えた時間でした。
保育士の時に
今の立場だったら
先生に対しても
周りの人に対しても
もっと思うこととか
「異議あり!でも言えない」とか
幸せも娘の成長すら
「相手次第」だったから
そうなって欲しくて
合わせて欲しくて
察して欲しくて
すごく不満が
たまっていたと思います。
これは、「不満」があること
感じることそのものが
ダメだってことじゃありません。
自分の幸せが
自分の感じることが
相手次第、周り次第って
すごく辛いんだってこと。
相手や周りが変わってくれなければ
自分は幸せになれないから
「幸せになるために」よりも
自分に合わせてもらったり
察してもらったり
認めてもらったり
そういう部分に
エネルギーを注いでいかなきゃいけない。
自分を幸せにするために
何個も難題をクリアしていかなきゃいけない。
不満があるならば
許せない誰かがいるならば
幸せを求めているならば
ちゃんと内側を感じて
自分を見てみようよってことです。
娘の幸せも同じ。
パートナーの幸せも同じ。
自分が相手次第だと
相手の幸せも勝手に決める。
勝手に背負って、責任感じていたりする。
そうしなきゃ
幸せになれないよ
それを自分が決めるのは
傲慢です。押し付けです。
勝手に巻き込まない。
勝手に相手の幸せを決めない。
何があっても
自分の幸せは自分次第。
だから、自分のことは
自分で責任をとる。
そうしたら、
どんなことがあっても
自分の人生に差し支えない。
とても安心、安全な世界が
「今すぐ」目の前に広がります。
自分に責任をとろう。
自分次第で自分を幸せにしよう。
自分を許すことは
周りを許すこと。
周りを許すことは
自分を許すこと。
全部自分からです!